分け入ることのできる様々な高さの空間「地形の記憶」に、「The Way of the Sea」の魚の群れが入ってくると、この作品ははじまる。群れが空間を出てていき、いなくなると作品は終わる。
光で描かれた魚の群れが自由無礙に泳ぐ。魚は人々を把握し、ぶつからないように人々を避けようとする。人々はそれぞれ色を持っており、人の近くを通った魚は、その色に染まっていく。
作品とそれを媒介するキャンバスが分離され、キャンバスが変容的なものになったことと、連続した動的なふるまいによる視覚的錯覚によって、身体ごと魚群に没入し、人々は身体と作品世界との境界をも失っていくだろう。そして、一つの共通の世界が自分や他者の存在で変化していくことで、自分と他者が世界に溶け込んだ一体感のようなものを感じるかもしれない。
数千から数万の魚の群れの動きは、美しく神秘的で、まるで一つの巨大な生命体のようにも見える。群れには、リーダーもいなければ意思疎通もなく、となりの仲間が動くと自らも動くというような単純な規則で動いているとされている。しかし、数百匹の群れでほぼ同時に起こることの生理学的なメカニズムは謎に包まれている。そこには、人間がまだ理解していない普遍的原理の存在があるかのように感じる。何にせよ、群れによる彩色には、全体としての意思はない。人々の存在の影響を受けながら、一匹一匹がプリミティブな規則で動くことで、平面は、意図のない複雑で美しい彩色となる。
作品はコンピュータプログラムによってリアルタイムで描かれ続けている。あらかじめ記録された映像を再生しているわけではない。全体として、以前の状態が複製されることなく、変容し続ける。今この瞬間の絵は二度と見ることができない。