秩序がなくともピースは成り立つ / Peace can be Realized Even without Order
teamLab, 2018, Interactive Digital Installation, Endless, Sound: Hideaki Takahashi, Voices: Yutaka Fukuoka, Yumiko Tanaka
秩序がなくともピースは成り立つ / Peace can be Realized Even without Order
teamLab, 2018, Interactive Digital Installation, Endless, Sound: Hideaki Takahashi, Voices: Yutaka Fukuoka, Yumiko Tanaka
無数の透明な像によるインタラクティブな作品。
「無限の透明」の空間に、「Walk, Walk, Walk」の肖像群が入ってくると、この作品ははじまる。肖像群が空間を出てていき、いなくなると作品は終わる。
作品中の人々は、おのおの自律している。そして、楽器を奏でたり踊ったり、それらは近くの人々が奏でる音の影響を受けて行動している。全体に影響を与える者や、全体を把握している者、つまり、オーケストラでいうところの指揮者は存在しないし、中心や基準というような概念はない。しかし、彼らはお互いに影響しあい、やがて「引きこみ現象」が起こり、しばらくすると演奏に調和が生まれる。
作品中の人々は、来場者が近づくと、たまに来場者に気づき、奏でることを止めて反応する。しばらくすると、また適当に楽器を奏で始める。気まぐれに始まった演奏のために、周囲の音楽の調和は壊れる。来場者がいなかったり、来場者がじっと静かにしていたりすると、また引きこみ現象が起こりはじめ、調和が生まれていく。
作品中の人々は、ある時、空間を抜け出し、外に出て歩いていく。空間に戻ってくれば、また、おのおの楽器を奏でたり、踊りだしたりし始める。
日本には「阿波踊り」という、非常にプリミティブな踊り祭りがある。
その祭りでは、各自がおのおの踊る集団を作り、集団で楽器を奏でて街中で勝手に踊り歩く。各集団は好きなように奏でながら、好きなように踊り歩くのだが、なぜか街全体で音楽に調和が生まれている。それは踊り歩く中で、たまたま出会った集団の音楽のテンポに、互いの集団が無自覚にだんだん合わせていくということで成り立っている。そこにはルールがあるわけではなく、無自覚に行われている。そして、人々は解放されそこに一切の秩序がないように感じるにも関わらず、非常にピースな体験をする。近代以前の社会は、もしかしたら、今とは違った方法で、ピースを成り立たせていたのかもしれないのだ。
インターネットによって、人は好きな人々と勝手につながっている。そのことが加速され、結果的に、世界中がつながっていっている。人々にとって、互いにつながっている者同士の影響がもっとも大きくなってきている。そんな新しい時代で感じていることが、プリミティブな踊り祭りでの体験とリンクし、新しい時代は、今とはまったく違った方法論でピースを成り立たせる可能性があるのではないかと感じさせる。
作品に出てくる者たちは、具体的な誰かではなく、誰でもない誰かを表現している。
作品はコンピュータプログラムによってリアルタイムで描かれ続けている。あらかじめ記録された映像を再生しているわけではない。全体として、以前の状態が複製されることなく、変容し続ける。今この瞬間の絵は二度と見ることができない。
「無限の透明」の空間に、「Walk, Walk, Walk」の肖像群が入ってくると、この作品ははじまる。肖像群が空間を出てていき、いなくなると作品は終わる。
作品中の人々は、おのおの自律している。そして、楽器を奏でたり踊ったり、それらは近くの人々が奏でる音の影響を受けて行動している。全体に影響を与える者や、全体を把握している者、つまり、オーケストラでいうところの指揮者は存在しないし、中心や基準というような概念はない。しかし、彼らはお互いに影響しあい、やがて「引きこみ現象」が起こり、しばらくすると演奏に調和が生まれる。
作品中の人々は、来場者が近づくと、たまに来場者に気づき、奏でることを止めて反応する。しばらくすると、また適当に楽器を奏で始める。気まぐれに始まった演奏のために、周囲の音楽の調和は壊れる。来場者がいなかったり、来場者がじっと静かにしていたりすると、また引きこみ現象が起こりはじめ、調和が生まれていく。
作品中の人々は、ある時、空間を抜け出し、外に出て歩いていく。空間に戻ってくれば、また、おのおの楽器を奏でたり、踊りだしたりし始める。
日本には「阿波踊り」という、非常にプリミティブな踊り祭りがある。
その祭りでは、各自がおのおの踊る集団を作り、集団で楽器を奏でて街中で勝手に踊り歩く。各集団は好きなように奏でながら、好きなように踊り歩くのだが、なぜか街全体で音楽に調和が生まれている。それは踊り歩く中で、たまたま出会った集団の音楽のテンポに、互いの集団が無自覚にだんだん合わせていくということで成り立っている。そこにはルールがあるわけではなく、無自覚に行われている。そして、人々は解放されそこに一切の秩序がないように感じるにも関わらず、非常にピースな体験をする。近代以前の社会は、もしかしたら、今とは違った方法で、ピースを成り立たせていたのかもしれないのだ。
インターネットによって、人は好きな人々と勝手につながっている。そのことが加速され、結果的に、世界中がつながっていっている。人々にとって、互いにつながっている者同士の影響がもっとも大きくなってきている。そんな新しい時代で感じていることが、プリミティブな踊り祭りでの体験とリンクし、新しい時代は、今とはまったく違った方法論でピースを成り立たせる可能性があるのではないかと感じさせる。
作品に出てくる者たちは、具体的な誰かではなく、誰でもない誰かを表現している。
作品はコンピュータプログラムによってリアルタイムで描かれ続けている。あらかじめ記録された映像を再生しているわけではない。全体として、以前の状態が複製されることなく、変容し続ける。今この瞬間の絵は二度と見ることができない。