流れは、空間の形状、人々の存在の影響を受け、そして、作品空間の他の全ての流れと連続し、変容していく。
流れは、相互作用のある無数の粒子の連続体とし、その粒子の軌跡によって、線は描かれる。
この作品は、空間のイリュージョンではなく、作品空間は人々の身体のある空間にそのまま存在し、空間は流れに覆われる。
レンズやパースペクティブによる映像は、三次元的な空間を二次元平面に表す空間のイリュージョンであり、三次元空間が二次元平面の向こう側に出現し、その三次元空間と鑑賞者は別空間であり、二次元平面が境界面となる。そして、視点が固定され、身体を失う。それらとは違い、この作品は、空間のイリュージョンではなく、作品空間は人々の身体のある空間にそのまま存在する。壁や床は、鑑賞者と作品空間との境界面にならず、作品空間は、人々の身体のある空間と一体となる。鑑賞者は視点が固定されず、身体は自由である。