本展の背景
医学的観点から見た「ととのう」
「ととのう」とは
「ととのう」とはサウナ、冷水浴、休憩のプロセスのうち、冷水浴直後の休憩の時に感じられる心地よい通常とは異なる感覚のことを指します。医学的には、サウナ、冷水浴中の交感神経優位の状況から、休憩時間中に反動をつけて大きく副交感神経優位になる状況であるにもかかわらず、血中の交感神経優位の際に放出されるアドレナリン、ノルアドレナリン、エンドルフィンの効果が残存し、オキシトシンやセロトニンも増加している、通常では起こり得ない状況に起因すると考えられます。
「ととのう」とどうなるか?
「ととのう」という現象を紐解くために、MEG (Magnetoencephalography)という超高精度な脳波測定器を用いて、30人のサウナ利用者を対象に、サウナ前後での脳の機能的変化を解析してみました。その結果、興味深い現象がみられたのです。リラックス状態関与するアルファ波が正常化していたことに加えて、リラックス時には活動が抑えられることの多いベータ波が右頭頂葉の一部にのみ活性化していました。右頭頂葉は空間や視覚認識、身体感覚、位置情報などあらゆる感覚を司る部位であり、「ととのっている」際に浮かばなかったアイディアが浮かんだり、通常では気にならなかった音や匂いに気付くようになる、などのサウナ愛好家からの感想と一致します。さらにベータ波が低下していた。ベータ波は脳の覚醒度と反比例することから、サウナ後には覚醒度が上がって、頭がスッキリと感じられることが分かりました。以上をまとめると、サウナにより「ととのう」と、深くリラックスし、創造性が増し、感覚が研ぎ澄まされ、頭がスッキリと感じられるようになります。瞑想にも似た状態とも言えます。
「サウナ+冷水+休憩」を3セットまでに
自律神経を測定した私の実験では、4セット以上行うと、一度上がった自律神経の機能が逆に低下し、ふらふらになってしまう方がいました。3セットまでが適切だと考えます。無理せず、ご自身の体と相談しながら慣らしていくのがベストです。アートとサウナの歴史的背景:淋汗茶の湯
室町時代(1336-1573)中期、風呂上がりの客人に茶をふるまう茶の湯を「淋汗茶の湯」と呼び、書院茶などと同じように、風呂場にも絵や香炉、花入、掛軸などを飾り、風呂上りに闘茶を行い、多くの見物人が現れたといいます。
「淋汗茶の湯」はいわゆる婆娑羅(ばさら)趣味として、奈良の興福寺を中心に国内で広く行われていました。
当時の風呂とは蒸し風呂のこと、つまり現在のロウリュサウナ(熱したサウナストーンに水をかけるサウナ)のようなもの。日本では古くから、サウナに入りアートを見て、茶を飲む行為を文化的な遊びとして楽しんでいたのです。
さて、婆娑羅とは、日本の中世、主に室町時代初期(南北朝時代)の社会風潮や文化的流行をあらわす言葉です。身分秩序を無視して実力主義的であり、貴族といった名ばかりの時の権威を軽んじて嘲笑・反撥し、奢侈で派手な振る舞いや粋で華美な服装を好む美意識でもあり、後の戦国時代における下克上の風潮の萌芽ともなった文化でした。
千利休(1522~1591)の師の師とも言える、「侘び茶」の祖・村田珠光(1422~1502)も若かりし頃、「淋汗茶の湯」に夢中になっていたとも言われています。そして、後に大徳寺の一休宗純(一休さん!)に学び「茶禅一味(茶道と禅とは一体である)」の境地に達し,「佗び茶」を創始したのです。そして「淋汗茶湯」の中心人物であった古市胤栄、古市澄胤兄弟が村田珠光の弟子になることで、「淋汗茶湯」は「佗び茶」へと変わっていきます。
現代のサウナブームの文化的背景:SNSとマンガ
サウナブーム以前から、暗黙的に引き継がれてきた超温冷交代浴による特殊な状態。その状態が、SNSによる広がりと、「ととのう」という言語化、そして、「ととのう」の言葉や、そのプロセスや方法論がマンガによって可視化されて広がることで、多くの人が「ととのう」ことを体験し、多くのサウナファンをつくっていきました。それが、この約10年の中で起こり、現代のサウナブームへと繋がっていったのだろうと考えられます。
※本稿の執筆にあたりアドバイスをいただいた、タナカカツキ氏、濡れ頭巾ちゃんに、心より深謝いたします。
ととのうに繋がる日本のインフラと文化基盤の推論:公衆浴場と水浴び
ところで、サウナ愛好家達が、以前より暗黙的に引き継いできた「ととのう」入り方は、いつ頃からなのでしょうか?
日本の蒸し風呂は、江戸時代(1603〜1868)中期に、お湯につかる現代の風呂に変わりました。そして、現代のサウナは、東京オリンピックの前後に、日本にフィンランドから入ってきました。しかし、フィンランドに行くとわかるように、町中のサウナには必ずしも水風呂があるわけではありません(もちろんフィンランドには湖が多くあるため、湖の傍らのサウナでは、水風呂の代わりに湖に飛び込むのですが)。
では、日本では、なぜサウナの時に必ず水風呂に入るようになったのでしょうか?実は、サウナ以前から、熱い風呂の後に水を浴びる習慣があったのではないかとと考えています。田舎で生まれた人は、おじいちゃんに、風呂の最後に「冷水を被れ」といわれたことがあるかもしれませんし、サウナがないのに水風呂がある銭湯もあります。
鎌倉時代(1185〜1333)後期の宮廷医、惟宗具俊による医学随筆集「医談抄」(医家による随筆としては日本における最古のものの一つ)に、蒸し風呂の後、冷水をかけて洗う話が出てきます。この時代から、蒸し風呂の後に冷水をかけていたことがわかります。また、神社では、現在も境内の手水舎で身を清めますが、日本の神道に古くからある、滝や川でけがれを祓う禊ぎ(水浴)も関係しているかもしれません。もしかすると、もっともっと以前、例えば奈良時代(710〜794)に寺に功徳風呂として施浴(民衆への施しの風呂、つまり公共の風呂)ができた頃から、蒸し風呂の後に水を浴びていたかもしれません。少なくとも、施しの風呂は、湯に変わり、銭湯という公衆浴場として町中に残り、浴びていた水は、いつのまにか水風呂に変わり、千年以上、暗黙的に温冷交代浴が引き継がれてきたのではないでしょうか。そして、これまで続いてきた歴史や文化、インフラが基盤となって、サウナの超温冷交代浴による「ととのう」へと発展していったのかもしれません。